【Googleタイトルロゴ】デューク・カハナモク【伝説のサーファー】

本日のGoogle

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コンニチハ。

本日は、

変更されたGoogleタイトルロゴの方についてです。

 

Googleのタイトルロゴって不定期に、

時々変わりますよね。

アニメショーンするものになったり、

フォントが変わっていたりと様々に。

 

本日8/24は、

1人の男性をモチーフ?としたタイトルロゴでした。

(個人的にちょっと気になったのでそちらについて)

 

デューク・カハナモク 生い立ち

本日のGoogleタイトルロゴの男性は、

伝説のサーファー デューク・カハナモクさんだそうです。

(噛みそうになりました...)

 

ハワイ出身のサーファーであり、

水泳選手でもあったそうです。

誕生日は1890年8月24日。

本日で生誕125周年です。

 

ハワイのオアフ島に生まれた、

純粋な先住ハワイ人なデューク・カハナモクさん。

 

母親から彼は、

「決して水を怖れず、可能な限り遠くにまで行ってごらんなさい」

と言い聞かされて育てたと伝われています。

そのためかワイキキで育ち、

幼少期からアウトリガー・カヌー水泳に親しみ、

「ウォーターマン」と誰もが認める様になりました。

 

高校を中退した彼は、

仲間達とワイキキ・ビーチで様々な雑用をこなして日銭を得る「ビーチ・ボーイ」となりました。

この時に「ビーチ・ボーイ」を共にしていた仲間たちが、

後に世界有数のアウトリガー・カヌー・クラブ「フィ・ナル」を結成しました。

 

オリンピックメダリスト デューク・カハナモク

後に水泳選手としてオリンピックメダリストとなった、

デューク・カハナモクさん。

 

1911年:

  アマチュアの水泳競技会において、

 自由形100ヤードで当時の世界記録を4. 6秒も縮める驚異的な記録を叩き出す事で、

 注目を浴びる。

 同時に彼は220ヤードの世界記録も破り50ヤードでは世界タイ記録を出した。

 しかも会場はプールではなく、ホノルル港の海水である。

 

1912年:

  彼は圧倒的な実力でオリンピック代表の座を手に入れる

 この予選会では200メートル自由形で世界記録を更新し、

 挑んだ1912年 ストックホルム五輪では100メートル自由形であっさり優勝する。

 リレーでも準優勝に貢献した。

 

1920年:

  アントワープ五輪でも100メートル自由形優勝し、リレーでも優勝。

 1924年のパリ五輪では100メートル自由形準優勝に終わったものの、

 この大会で銅メダルを獲得したのは実弟”サミュエル・カハナモク”であり、

 改めてハワイの「ウォーターマン」の実力を世界に知らしめることとなった。

 

獲得したメダルは、

金:1912年に1つ、1920年に2つ。

銀:1912年に1つ、1924年に1つ。

12年の間に、金3つ&銀2つのメダルを獲得する。

 

デューク・カハナモク 引退後

競技生活引退後は、

水泳とサーファーの復興に力を注ぐとともに、

ハリウッド映画にも数多く出演している。

彼を題材として映画「ザ・ライド」

2003年に製作されている。

 

1990年には彼の功績を称え、

ハワイのオアフ島のワイキキ・ビーチに等身大の銅像が設置された

そして本日2015年8月24日には、

彼の生誕125周年を記念してGoogleロゴマークに彼の似顔絵が使用されました。

 

伝説のサーファー デューク・カハナモク

しかし彼は水泳選手として以上に、

サーファーとしても後世に巨大な影響を与えた方でもあります。

 

功績の一つ目は、

彼の活躍によりサーフィンというスポーツが再評価されるきっかけを作った事

そして、

アメリカ社会にサーフィンを流行らせた事。

さらに、

「デューク・カハナモク・インヴィテーショナル」大会のアイコンとして

サーフィンがプロ・スポーツとなるきっかけを与えたこと。

この3つが彼が後世に与えた大きな影響だと言われています。

 

サーファーとしてのデューク

現代のWCT(ワールドチャンピオンシップツアー)選手のようなトリッキーなサーフィンではなく、

伝統的なハワイのサーフィンを好み、

「パパ・ヌイ papa nui(大きな板)」と名付けられた巨大なロングボード

長さ4. 8メートル、重さ52kg!?)を愛用していた。

素材はハワイアン・コア↓であった。

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英雄 デューク・カハナモク

彼はハワイの海洋文化の偉大さを、

水泳選手として圧倒的な実力でメダリストとなり、

サーファーとしてサーフィンの素晴らしいスポーツとしての魅力

そしてアウトリガーカヌー競技の名門「フイ・ナル」の創設という形

世界に海や水でのスポーツや文化を知らしめた人物であった。

 

その影響力は大きく、

サーファーとして彼に続く先住ハワイ人の文化英雄となった”エディ・アイカウ”も、

彼の名を冠した当時世界最高のサーフィンの競技会に勝利すること

その生涯の目標としていたとされる(Coleman, Stuart Holmes. 2002)。

 

「フイ・ナル」

ナイノア・トンプソン(アメリカ合衆国の海洋冒険家・社会活動家・政治家)を生み、

またエディとの邂逅がウェイン・バーソロミュー(プロサーファー)

サーフィンのプロ・スポーツとしての確立に向かわせたことを考えると、

その功績は計り知れないものがある。

 

 

wikipediaの引用からのちょっと編集でまとめました。

 

水泳選手としてメダリストとなり、

更にはサーファーとしてサーフィンをスポーツとして確立し、

その事が結果的にハワイやハワイの選手への注目や、

同じ志を受け継いだ人々の更なる文化貢献への目標へとなっていたのですね。

 

今ではサーフィンがスポーツであり、

沢山の人々がしている事に彼の活躍と貢献があったんですね。

軽く調べてみようと思った事が予想以上に調べてました。

(といって海に行くかというと...)

 

そ、それではー。

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